理事長メッセージ
藤田学園は1回目の東京オリンピックと同年、1964年に藤田啓介博士により創設されました。1968年には看護系、臨床検査系の2領域からなる名古屋保健衛生大学を創設し、1972年に研究のみに特化した総合医科学研究所を開設しました。1971年に「藤田学園名古屋保健衛生大学ばんたね病院」(現 藤田医科大学ばんたね病院)が名古屋市中川区に開設され、2年後の1973年に「藤田学園名古屋保健衛生大学病院」(現 藤田医科大学病院)を開院しています。さらに1987年には三重県津市にわが国の大学初の施設として、緩和医療とリハビリに特化した「七栗サナトリウム」(現 藤田医科大学七栗記念病院)が開院され、2020年には急性期医療とがん治療を主目的とする「藤田医科大学岡崎医療センター」を開院しました。この様な形で藤田学園が運営する4病院では、高度急性期医療から緩和ケア・リハビリまでの幅広い分野で、患者中心主義を唱える共通の理念のもと、地域医療を担うとともに、学生にとっては幅広く高度な実臨床を学べる教育施設としての役割を担っています。
現在、世界中で環境変動、自然災害、食料不足、高齢化、新興感染症パンデミックなど数々の深刻な課題を抱えており、大学にはこのような課題の解決に向けた積極的な取り組みとそれを可能にする人材育成が強く求められています。
本学は医学部創設50周年を迎えた2022年度初頭に、教育、研究、医療・福祉という従来の3本の柱に、新たに「社会貢献」という4本目の柱を加えた「FUJITA VISION 2030」を策定しました。このVISIONに沿ったスローガン「その時、いちばん動ける藤田学園へ」を全職員がわが事として認識し、「All Fujita」の精神で課題解決に向かって邁進しています。
わが国では2011年以来、東日本大震災や熊本大地震などの大災害を経験し、また、中部地方でも30年以内には南海トラフ巨大地震が発生し、多くの命が奪われる可能性が高いと言われています。
本学はいつ来るかも知れない大災害に備えるべく、この課題に「All Fujita」の精神で真摯に取り組み、全学生・教職員が防災士の資格を取得し、地域で災害対策に取り組めるように教育を始めました。また大学病院では、巨大地震の際も、電気、水、食料などの供給が途絶えない環境を構築し、常に高度な救命医療が継続できるように、愛知県や県内外の企業の協力のもと整備を進めています。
さらに、2023年10月に東京の羽田空港敷地内に藤田医科大学東京 先端医療研究センターを開設し、再生医療や遺伝子診断などの先端医療に加え、高齢者を対象に活動長寿として栄養学やリハビリテーションの粋を結集した科学的次世代医療に挑戦します。
私どもは「FUJITA VISION 2030」に則り、教育、研究、医療・福祉、社会貢献のために尽力し、日本のみならず世界に誇れる藤田学園となれますよう、全学を挙げてあらゆる努力を惜しまない覚悟です。
副理事長メッセージ
未来に向けた藤田学園の挑戦
私立大学を取り巻く環境は大きく変化し、教育・研究・診療の分野で多くの課題に直面しています。本学が持続的に成長し、社会に貢献し続けるために全学の力を結集し、改革を推進することが重要です。
第一に研究力の強化です。本学は2024年度に全国で12番目に「橋渡し研究支援機関」に認定されました。また、基礎研究と臨床応用の連携を強化し、「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」として、全国25の研究大学の一校に採択されました。これにより、本学の医学・医療分野における教育・研究の質を上げ、「知の総和」の向上が期待されます。
第二に人材育成です。文部科学省は博士人材の育成強化を掲げ、大学院生を2040年までに現在の3倍に増やす方針を示しました。「2040年問題」と呼ばれる人口減少の中で、本学が優秀な学生を獲得し持続的に発展するために、日本初の医工学社会共創研究科・医工共創学科の2027年4月設置を進めており、また国際的な視点を持った医療人材の育成にも力を入れ、グローバルな医療課題に対応できる教育体制も重要です。
第三に全国の大学病院が直面している改革です。厚生労働省は大学病院に対して、①医師養成 ②高難度の医療提供 ③地域への医師派遣能力 を求めています。大学病院の経営の安定を図るとともに、研究力と教育力をさらに向上させるために大学病院の機能強化が不可欠です。そのために国が推進する「医療DX2030」の基盤となる「全国医療情報プラットフォーム」と連携し、生成AIの活用を通じた医療DXを強力に推進します。これにより、医療の質の向上や診療の効率化を図り、地域医療にも積極的に貢献してまいります。
本学が世界をリードする医療人材を育成し続けるため、今後も挑戦を続け、社会に貢献できる大学づくりに全力を尽くしてまいります。